多摩川渡し船
多摩川には、その昔「渡し船」があちこちにあったのをご存知ですか?
最盛期には39箇所に渡し船が設けられ、人や物資、農機具などを乗せて往来していました。
戦後まで「渡し船」はあちこちで活躍していましたが、技術革新と自動車の普及に伴い徐々に姿を消していくことに・・・。
当時の様子を伺える写真がこちら。
船には大小様々なサイズがあり、中には耕耘トラックも輸送できるくらいの巨大船もあったそう。
最後の渡し船は「菅の渡し船」。昭和48年に閉鎖されました。(意外と最近なのが少し驚きです)
なぜ橋ではなく「渡し船」だったのか
江戸時代、暴れ川として有名だった多摩川にはじめて橋がかかりました。
東海道の「六郷大橋」がその最初の橋と言われています。
ですが、度重なる洪水のため幾度となく崩壊してしまい、結局は明治時代まで「渡し船」が主要交通になっていたそうです。
跡地に行ってみた
今は一切運用されていない渡し船ですが、現在でも多摩川沿いには「〇〇の渡し」跡が各地に設置されています。
今日は、「宇奈根の渡し」に行って来ました。
掲示されている看板にも書かれていますが、
実は宇奈根地区はその昔、多摩川の氾濫により村が真っ二つに分断されてしまったそうなのです。
そのため、現在でも対岸の川崎市側には「宇奈根」という地名が残っているのです。
(ちなみに対岸にも「宇奈根の渡し」跡がちゃんとあります。)
こちらの跡地にはこんな可愛らしいものが。
宇奈根の渡しは数年前に世田谷区と地元小学生の取り組みの一環で、1日だけ渡し船を復活させたイベントがあり、
これはその際に設置されたものなんだとか。
実際の場所を考える
先程の看板を見ていて気づいたのが、
実際の宇奈根の渡しはこの場所よりも上流500mだった
ということ。
「え、ここじゃなかったの?」
と少し拍子抜けしつつ上流の方に目をやると、そこには東名高速道路が。
正式名称は東名高速道路多摩川橋。
昔の主要交通でもあったはずですので、もしかしたらこの場所が宇奈根の渡しだったのかな?
なんて考えながら帰路につきました。
多摩川にかつて存在していた「渡し船」。
今ではその姿を見ることはできませんが、橋が架かっている付近に行くと、ひっそりと「〇〇の渡し」と書かれた杭や看板が見つかるはずです。
今度多摩川を散歩する機会があったら、ぜひ探してみて下さい。