暑い。
8月のいわゆる「夏本番」という感じの暑さではないけど、毎日どんよりとした嫌な空気が身体にまとわりつく。
本当に明けてんのか?梅雨は。
こんな日は、クーラーで冷えた部屋の中でダラダラと過ごし、読みかけの本をまとめて読んでしまおうかと思ったのだけれど、
私は夏が始まる前に立てた、「この夏に取り組みたいことリスト」を思い出した。
それがこちら。
- 多摩川ラフティングにチャレンジ
- 石川酒造(多摩の恵など)に行ってみる
- 多摩川フィッシングフェスティバルに行ってみる
- 多摩川水質レポート(奥多摩湖・羽村・二ヶ領上河原堰・調布取水堰)
- 奥多摩湖・小河内ダム取材
- 小河内ダムカレーを食べてみる
- 多摩川支流「野川」を巡る
- 多摩川最後の渡し船跡に行ってみる
- 「たぬきや」で、多摩川見ながら酒を呑む
- 多摩川花火大会に行ってみる
- 多摩川で化石掘りをしてみる
- 多摩川でスタンドアップパドルボードにチャレンジ!
これは、「多摩川を愛でる会」で、この夏に取り組みたいことをリスト化したもの。
上から確認していったのだが、
3番目の、多摩川フィッシングフェスティバルに行ってみる(詳しくはこちら)
以外、1個も実行できていないことに気づいた。
夏休みの課題と違い、やらないことで誰かから責められることは今のところない。
が、なんだか、自分でやりたいことを考えておいて、全然実行できていないというのはなんかかっちょ悪いなと思い、
今からすぐにできそうな項目に取り組むことにした。
それが、
多摩川最後の渡し船跡に行ってみる
である。
渡し船、皆さん乗って渡ったことありますか?
私はありません。
かつて、この多摩川には上流から河口まで39箇所の渡し船がありました。
江戸時代には度重なる洪水のため橋を架けるのが難しく、日本が近代化するまで「渡し船」が活用されていたんですね。
By 葛飾北斎 – http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, Link
明治以降、橋梁の技術が向上し、この時期から徐々に「渡し船」の姿は消えていきます。
「渡し船」というのは時代劇でよく見る中世の乗り物のイメージがありますが、実は戦後も活用されていました。
多摩川にも、戦後現役で活用されていた「渡し船」があり、それが今回尋ねる「菅の渡し」です。
川崎市多摩区稲田堤と、東京都調布市多摩川をかつて渡していた「菅の渡し」は、昭和48年まで現役で「渡し」を行っていたという記録があります。
この年は京王相模原線が開通した年。鉄道が開通したことで渡し船の役割を終えたようです。
「多摩川最後の渡し船」
というのが、私的に超絶ロマンを感じたので、夏のやりたいことの一つとして挙げていたんですね。
さて、前置きが長くなりましたが、実際に菅の渡しに行ってみましょう。
チャリがないから走っていく
Google Mapで調べてみると、菅の渡し跡は自宅から5kmほどの場所。
いつもならチャリ(ロードバイク)で行くんですが、あいにくメンテナンスに出していたため、思い切って「走って」いくことに。
ランニングは習慣的に行っていているのでまあ大丈夫かなと(一応フルマラソンも完走している)。
さあ、多摩水道橋を渡り川崎市へ。
暑いぜ多摩川!#菅の渡し 目指してランニング中 pic.twitter.com/eY6HVZ7THJ
— 多摩川を愛でる会 (@TamagawaLovers) 2017年8月6日
橋を渡ったら、あとはただ川沿いに進むだけ。
途中、中之島の渡しや、下菅の渡しなど、他の「渡し跡」も発見。
#中野島の渡し に到着。かっちょいい!
が、今日の目的地は多摩川最後の渡し、#菅の渡し である。汗だくになりながら進むのである。 pic.twitter.com/pIr3NCA178— 多摩川を愛でる会 (@TamagawaLovers) 2017年8月6日
この石碑みたいなやつ、鏡面仕上げでめっちゃかっこいい。
汗だくになりながら更に進んでいくと目の前に堰が見えてきた。
二ヶ領上河原堰到着。
#二ヶ領上河原堰 到着。#菅の渡し跡はもうすぐだ! pic.twitter.com/2RDAjp2yNj
— 多摩川を愛でる会 (@TamagawaLovers) 2017年8月6日
ここまでくれば菅の渡しまでもうすぐ。
ちなみに、稲田堤周辺でこんな看板が。
日清戦争の勝利を記念して、明治三一年、菅村の人々は中之島から矢野口堺にかけて二百五十本余りの桜を植えた。(中略)昭和四三年、わずかに残っていた桜も多摩沿線道路の拡幅工事にあわせてすっかり切り払われてしまった
昭和43年、ということは菅の渡しが廃止される5年前。
鉄道だけでなく、自動車道路の整備も進められていたことが伺えますね。
たぬきやの前を通り、京王相模原線が目の前に。
まさにこの場所が、
多摩最後の渡し船「菅の渡し」があった場所。
昭和48年、今から44年前、この場所には渡し船がまだ往来していたんだ。
多摩沿線道路を渡ってすぐのところに、「菅渡船場跡」が。
道路に囲まれた場所にポツンと佇んでいます。
裏側も見てみましょう。
昭和四十八年十一月建立 菅町會
まったくフォトジェニックではないですが、360度写真も撮ってみました。
Post from RICOH THETA. – Spherical Image – RICOH THETA
さて、当初予定ではこのあとおとなしく引き返して、自宅で冷えたビールでも飲もうと思っていたのだが、
『対岸の「渡し跡」も見ておくべきなんじゃないか』
と思い、急遽橋を渡って対岸の調布市に行ってみることに。
対岸へは多摩川原橋を渡って行く。
多摩川原橋を渡って東京へ。東京サイドの #菅の渡し を目指します。 pic.twitter.com/2FVmVxflWU
— 多摩川を愛でる会 (@TamagawaLovers) 2017年8月6日
道路からなかなか発見できず、見つけるのに苦労したが、調布市の「菅の渡し跡」は多摩川白衣観音さまの敷地内にひっそりと掲示されている。
看板。
調布市側には「渡し跡」的な石碑は見当たらなかった。
ちょっとさみしい。
どこの渡し船かは定かでないが、渡し船の写真も確認できる。
***
こうしてわざわざ自宅から自走して多摩川最後の「渡し船跡」を訪ねてみたんですが、
帰り道、身体はボロボロで足が前に出ないくらいの疲労困憊状態になっていました。
次からはチャリか電車にしよう・・・。