多摩川を愛でる人々 インタビュー:東京最西端の町の、最先端の町おこしに迫る

前回に引き続き、Ogouchi Banban Company(OBC)の島崎さん、通称「かん先生」にお話を伺っていきます。奥多摩の豊かな自然や、地域ならではの保育の話題に続き、今回はいよいよ奥多摩で展開中の町おこしについて聞いていきます。(聞き手:古畑健太郎)

島崎 勘 Kan Shimazaki
パフォーマー/保育士
1982年生まれ、奥多摩町留浦出身・在住。通称「かん先生」。
東京最西端の保育園、氷川保育園で働く、奥多摩町初で唯一の男性保育士。
OBCでは「地域振興型保育士」、「子ども参加型まちおこしエンターテイメント」というニュージャンルを掲げ、子どもたちと共に歌って踊って町を盛り上げている

舞台は奥多摩のブルワリー VERTERE(バテレ)

美味しいビールをたくさん飲みながら、話を聞いていきます。

はじまり、はじまり〜〜〜!

唯一無二の「町おこし」が生まれるまで

ーさて、このへんで少しOBCのお話の方もお聞きしたいと思います。OBCは2014年から活動開始したと思うのですが、かん先生はどのようにしてOBCの代表である酒井さんに出逢うことになったのですか?

「出逢う」というか、もともと同じ学校だったんですよ。タクマくん(OBC代表 の酒井さん)は2こ上で、田舎の中学校で全校でも十数人しかいなかったから、先輩後輩とかなくて、みんな普通にタメ口で話すみたいな間柄ではありましたね。

でも、高校の頃からは小河内の人たちとはあんまり会わなくなってました。

一方、タクマくんは地元への愛情が強くて同級生を集めたり、他の学年の人たちを集めて同窓会などを頻繁にやっていました。森の青年団という団体に入っていて、小河内の盆踊りを復活させたりと奥多摩のために色々取り組んでもいたんです。

僕はもともと地元にあまり興味なかったんです。都会志向が強くて笑。最初は同窓会にも行っていなかったんだけど、その後、まあ色々あって僕も同窓会に顔を出すようになり、地域の一員としての自覚のようなものも芽生えるようになりました。

ー何がきっかけで都会志向から小河内・奥多摩へと視点が変わったのでしょうか。

直接は奥多摩の保育園で働き始めたことがきっかけではありますね。当初拝島から通っていたんだけど、小河内の実家に帰った方が飯も出てくるし、何より職場まで近くて楽で笑
だんだん拝島には週末飲みに帰るだけとなり、そんな感じで小河内に戻ってくるようになったんですね。

最近2拠点生活が注目されていますが、僕は10年以上前から実行し、それを経て現在に至ってるんですよ!かなり意識の低い2拠点生活でしたけど笑

それと、保育士の仕事に慣れないうちは、職場や職務(子ども・クラス)のことだけを考えていたんだけど、どこかのタイミングで「地域の中にある保育園」という視点で仕事を考えるようになったんです。もちろん人によると思うし、このご時世だと古い感覚なのかもしれないけど、男性の僕は細やかさ丁寧さという面で、女性にはかなわないんですよね。
だから、広い視点というか、保育園の中だけじゃない視点で保育を考えるようになりました。その頃、丁度まちおこしのための曲づくりの依頼が舞い込んできたことも合わさって、保育園以外で奥多摩の地域の人たちと関わったりしてもいいかなと、気持ちに変化が現れました。

まあ、だからといって当時「奥多摩のために!」という強い意識はなかったですけどね。今も、あるかないかはわからないけど笑

それから奥多摩の町おこし団体、OBCとして活動をすることになったんだけど、最初の立ち上げイベントのとき、『自分はただ保育士していただけだったから、おまけみたいなものかな』と思っていたら、タクマくんはじめ、当時の主要メンバーから「そんなことないよ、むしろキーマンですよ」と言ってもらえて。

それで実際にステージでパフォーマンスをしてみたら子どもたちも喜んでくれて、大盛りあがり!「これはイイね!」となりました。

現在では様々な地域・イベントから出演依頼を受け、パフォーマンスを行っている。/OBCライブin東京多摩学園しいたけ収穫祭2019
どのイベントでも子どもが主役。とてもいきいきとしている。/OBCライブinゆめなりき主催・ゆめ躍る夏のフェスティバル成木地区大盆踊り
OBC主催のイベントも開催。旧小河内小学校が異常なくらいの熱気に包まれていた。(後ろの方に、僕と当時1歳の娘もちらっと写っている)/まちおこしモンスターフェス2019

ー実際に僕も2回ほどステージに上げてもらって一緒に踊ったことがありますけど、まず子どもたちの熱気がすごいですよね。大人からやらせれている感じが一切なくて、自分たちの意思で楽しく踊っている感じがバンバン伝わってきました。うちの娘も大興奮していましたよ。かん先生はそんなパフォーマンスを「子供参加型まちおこしエンターテイメント」と称して活動をしていますが、どのようにこの独特の町おこしのスタイルを生み出したのでしょうか。

もちろん、保育士だったからこのスタイルになったということなんだけど、実は最初は迷走していて、一番最初の曲は僕と他の大人の男たちだけ4、5人で踊ったんです笑。で、その後に「みんなが主役だよ」バージョンということで試しに子どもたちを舞台に上げたのです。

するとみんなすごく盛り上がって「大人だけより全然こっちの方がいいじゃん!」となりました笑。
それから、特に売り込みとかはしていないんだけど、出演依頼がポツリポツリ来るように。最初は参加する子供も少なかったけどだんだん増えていきました。

奥多摩の未来は、奥多摩の子どもたち。子どもたちが明るい奥多摩の未来は明るい

ーありがとうございます。まさか、最初は大人の男たちだけでやっていたとは!笑。OBCの他の活動もこのパフォーマンスのように奥多摩の子どもたちが深く関わっているように思えます。その中で「奥多摩の未来は、奥多摩の子どもたち。子どもたちが明るい奥多摩の未来は明るい」というようなメッセージを何度か見ましたが、なんだか意味が深い気がしていて。よければ詳しく聞かせてもらえませんか。

だいたい、奥多摩の子、特に小河内で育った子って、都会の方に一度は出るものと考えているんです。
そのとき、故郷を離れたとき、子供の頃(に過ごした故郷)を思い出すきっかけとして、音楽の役割って大きいんじゃないかって思うんです。

それは故郷から離れた子どもたちに戻ってきてもらいたいということじゃなくて、『小さい頃、なんかおかしなことやってたな』というひっかかりになったらいいなと。
OBCのパフォーマンスに参加する子どもたちは、よくある子ども向けイベントにあるみたいに、最後のおまけにステージ上に上がるというレベルじゃなくて、ステージの主役で、もちろんマイクも渡されてパフォーマンスをします。なかなか普通そんな経験できないですよね。

大人になったら奥多摩にとらわれずに、自分の住みたい町で才能を発揮すればいいと思うけど、離れていても自分が生まれ育った町が好き!って思えるっていいじゃないですか。

だから「こうあってほしい」というのは思わないようにしているんです。それは子どもの自由ですからね。

まあ、もし有名になったら「私は奥多摩育ち!」って言って宣伝してくれたら鼻高ですけど笑

ーそういう理念のもと奥多摩で生まれ育った子どもたちの未来、必ず明るくなると直感しました。うちの子どもたちも参加させたい・・・笑。貴重なお話を伺えてよかったです。

OBCのこれから

さて、もう少しOBCのことを伺いたいのですが、今年これから取り組んでいきたいことなどあったらお聞かせください。

丁度今取り組んでいるのは活動報告書の制作です。これは奥多摩町民向けの報告書で定期的に冊子にして配布しています。OBCの活動は普段からSNSで発信しているんだけど、町民の7、8割はSNSをやらない。でも「町おこし」と言っているからには、その7、8割の人たちにもちゃんと情報をお届けしたいんです。SNSの情報は自分から動かないと取りにいかないといけないしね。

昨年配布されたOBCの活動報告書Vol.02

一番最初に配布した活動報告書はスポンサーをつけて少しお金をかけて制作しました。スポンサーをつけるのは僕ららしくないかもだけど、それでもOBCのことを理解してくださる方々にご協力いただきました。

『OBC活動報告書Vol.01』より

部数は、町内全戸用に2500部、町外用に2500部、計5000部です。配達に来てくれたクロネコヤマトの人が、あまりのダンボールの数の多さに思わず「本当にこの荷物ここで合ってますか?」って言ってしまうくらい笑。それはそれは大変なことになりました。

意外と町内に向けたこういう冊子って今までなかったので、町民の人々には好評でしたよ。

その後はスポンサーをつけずに最低限の内容の第二弾を制作。で、今まさに第三弾を作っている途中です。
デザインは代表の酒井で、ライティングは僕がやっています。今まではHPに掲載している文章をそのまま載せていたのですが、今取り組んでいるものはちゃんと書き起こししたものになる予定です。

ーOBCは奥多摩町などから支援なく日々活動しているんですか?

町からの援助などはないですね。別に求めてもいません。縛られるのが嫌いだし、反骨心もちょっと強めなのです笑。あ、それと、自分達が楽しくて好きでやってることに金を出してもらうっていうのもなんかひっかかるな。

冊子などを制作して仮に赤字になっても、出演料などで、頑張って返済していこう!という感じですね。

町おこしとSNS

もちろんSNSも継続してやってはいきます。もともとFacebookを中心に発信していたんですが、地域おこし協力隊が来てくれたタイミングなどもあり、若い人たちの割合も多いTwitterやInstagramなども始めました。

でも…例えばたくさん「いいね」がついたり、フォロワーが増えてくると町おこしを「やってる」気がして良くないな、と最近思ってはいます。
勘違いしちゃうというか。日々の大したこと無い写真でも「いいね」がつくし、フォロワーも増えるじゃん。
果たして、ただの現状をそのまま伝える写真を投稿することが町おこしなのか。そんなの、マメな人なら誰でもできるんじゃないか。というのは感じていますね。ただ目の前にある情報ではなく、一段階面白く編集していくことも必要なんじゃないかとか。熱量を伝えるっていうかさ。あ、だから、同じ風景とかの写真でも、タクマ君の写真ってなってくると話は別ね。かなりな熱を感じるでしょ?笑

あと、Twitterをいくらやっても、仮に投稿がバズったとしても、ほとんどの奥多摩町民はそれ知らないから、何とも思われないんですよね。
でも、こっも反響があると嬉しいから笑、自然と「頑張っている」ってなっちゃう。それがどうなのかなとか。
もっと地道にコツコツの方がいいんじゃないか・・・とかね。

あとさ、SNSで反響が無いと凹む人がいると思うんだけど、OBCの気合い入れた投稿で「いいね」がつかないと逆に面白くなってくるんだよね。「こんだけ頑張ったのに全然評価されない!?笑 ウケる」という感じで。逆に、どうでも良いことが妙に反響があったりして。

それと、Twitterは特に「怖い」ってのはありますね。みんな名前を出さないし攻撃的な人も多い。
僕は炎上商法というか、煽りみたいなことは絶対にしないようにしてるんです。それはやっぱり、子供に多く関わらせてもらっているから。それは絶対に避けたいなと思っています。

その点、Facebookは実名前提のSNSだから安心できるというのはありますね。

最近アルゴリズムが変わって、お金を払って広告を出さないとあまり情報が拡散できないみたいなんですけど。
昔はもっと拡散できた気がするんだけどね。一時は力を入れていて、西多摩ではかなり名を馳せていたのですよ笑

山とか川とか・・・(詳細下記リンクから

山川写真館
奥多摩の山と川を表す「山川ポーズ」/OBC Facebookページより

フォロワー数はTwitterとFacebookで今同じくらいだけど、TwitterとFacebookではフォロワー数の価値というか質のようなものが違う気がします。

ー僕も「多摩を愛でる会」でTwitterをやっていますけど、タイムラインを見ているとちょっと物騒だなと思うことはありますね。
あとは極端な人もいるし。でも、Twitterって何かを発信するときにすごく「使いやすい」SNSなんですよね。Instagramは良い写真が無いと投稿できないような気がしますが、Twitterはすごくハードルが低い。だからついつい使ってしまいます。
たしかにかん先生が言うように、町おこし的視点からすると「バズる=やってる」というのに違和感を感じるのはその通りだなと思います。
一段階面白く編集して発信する、という視点だと、最近「かん先生といなかでバンバン」というショートムービーがまさにそれですよね。

そうですね、「いなかでバンバン」は自分の保育園の子どもたちに見せて喜んでくれるからやっています。たとえ世の中に全く反響がなくても、誰がなんと言おうと、奥多摩の子ども達はこれが好きだからいいんだ!!と。信じてもらえるかわかりませんが、見せると、それはもう大爆笑なんですから!!

ーそうか、これは奥多摩のこども向けメディアだったんですね笑。

さて、お話を伺いながらビールをたくさん飲んでしまいました。そろそろ終わりにしましょう。
最後に、多摩川のみんなに何か言っておきたいこととかあります?「水を大事にしろよ!」みたいな。

ないですよ、なんですかそれは笑
全くないです笑

ただ、やはり他の方もOBCのことをチェックしてくれたら嬉しいですね。

Ogouchi Banban Company(OBC)

ところで、この後どうします?

ー僕は、家に帰ろうかなと思います。

もう一軒寄っていきませんか?

ーえ、いや・・・。

行きましょう!!!

その後、普段なかなか入れないという「天益」さんに行き、餃子をつまみながら語らいは続きました。最後の方はちょっと記憶が無いです。

天益(てんます)

多摩川を愛でる人々インタビュー、いかがだったでしょうか。

かん先生は、「そんな、奥多摩のために!なんて考えていないですよ」と言葉にしながらも、誰よりも奥多摩や奥多摩に暮らす人々のことを愛しているように感じました。また、話を伺っていると、かん先生の子ども達への向き合い方そのものが、町おこしの活動理念のようなものともリンクしているように思えとても興味深かったです。

これからも、多摩川を愛でる人々インタビューは流域のさまざまな人々のところにでかけていきお話を聞いて行きます。

話の中に登場したお店は下で紹介しますので、是非チェックしてみてくださいね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

話の中に登場した場所

VERTERE(バテレ)

天益(てんます)