多摩川が溢れた、あの日のこと〜自宅籠城の記録〜

日本各地に大きな被害をもたらした台風19号。被害に遭われた方々、今もなお復旧に尽力されている方々のことを思うとただただ心が痛み、何もできない自分の無力さに呆れてしまいます。

関東各地の河川が氾濫・決壊しました。残念ながら、多摩川もその河川の一つ。幸い、これまでに行われた治水事業のおかげもあり堤防が決壊することはなく、1974年9月に起きたような被害状況にはなりませんでした。

それでも、台風後に多摩川を見に行くと土手すれすれまで増水していたことが明らかに。あと1〜2m増水していたら越水していたかもしれない・・・。そう思うと正直ゾッとします。おそらく我が家も浸水していたことでしょう。

多摩川が溢れたあの日のこと、何を感じて何をしたのか。あるいは何を信じたのか。忘れないうちに文字にして残しておきたいと思いこの文章を書いています。あくまで個人的な視点・記録なのでその辺はご了承ください。

朝方、兵庫島公園が水没

台風上陸の前日から降り続いた雨。朝が明けて、なんとなく二子玉川の兵庫島公園の状況が気になって、京浜河川事務所が公開しているライブカメラを見るとびっくり。なんと、すでに水没している・・・?!。公園内にある「ひょうたん池(兵庫池)」も姿なし。それどころか、野川に架かる兵庫橋もすでにすれすれの状態であった。

このツイートに対して、「よくある光景だ」「河川敷公園だから浸水して当然」というリプがあり、めんどくさかったので返答はしなかったが、そういうことじゃない。台風一過ならまだしも、上陸前にこんな状況になったことは少なくともこの10年間では無かったことだ。これから起きることを予想するとゾッとした。

今の時点でこんなふうになってしまったら、夜にはどうなってしまうんだろう。だって、まだ台風来てないんだぞ・・・?

急いで上流の調布多摩川の水位を確認。すると、やはり好ましくない状況だということがわかった。

朝の時点でこの水位。これから台風なんて来なくて、上流でも雨が止むのなら問題ないかもしれない。でも、何度も言うが、これから台風が来るのだ。さすがに身の危険を感じた。このエリアの多摩川が越水したら確実に我が家は浸水する。急いでハザードマップを確認する。

分かってはいたが、何度ハザードマップを見直しても、我が家は「2階床上までの浸水」エリアだった。地図上で一番濃い赤色で塗られていた。

どうしよう・・・。多摩川がやってくる。大好きで毎日のように出掛けていた多摩川が、今日はやってくるかもしれない。

一瞬、それも悪くないような気がしたのだが、どう考えても悪かった。いやいや、冗談言っている場合じゃない。これからどうするかちゃんと考えなければ。

急いで妻に多摩川の現状を伝え、今後について話し合った。

我が家には私と妻、1歳8ヶ月の娘がいる。そして、妻のお腹にはあと数日したら生まれてくる息子もいる・・・。避難場所に避難するか、クルマで高台に避難するか?それとも自宅の2階に避難するか・・・。

結論から言うと、僕たちは自宅2階に避難、籠城して多摩川を迎え討つという決断を下した。臨月を迎えた妻とまだ幼すぎる娘にとって、避難場所で長時間過ごすのは無理があると思ったからだ。それに、万が一浸水した場合はその場所も浸水する恐れがあり、何度も場所を転々としなければならないかもしれない。

であれば、食料や貴重品などを2階に持っていきおとなしくしていたほうが良い、ということになったのだ。

籠城開始。多摩川に備えよ。

急いで2階に生活拠点を移す。浸水だけでなく、防風の備えもしておかねばならない。前日から、窓ガラスの養生が話題になっていた。窓ガラスに養生テープを米印に貼って割れるのを防ぐというものだ。しかし、中には「貼ると強度が落ちる」というようなツイートも拡散されていて、正直よくわからん・・・。最終的に養生テープで窓を養生したが、こういうときの情報の取捨選択は命に関わってくることなので、これに限らず日頃から最低限の知識を得ておかねば・・・と感じた。

さて、そうこうしているうちにどんどん多摩川の水位は上がって、あっという間に調布多摩川も「氾濫危険水位」に到達してしまった。

基本、この水位に達したからと言って、すぐに越水するわけでない。あるいは、堤防が決壊せずにただ越水しただけであれば、そこまでひどい状況にはならないかもしれない・・・。

頭の中で、堤防と溢れる多摩川の水を想像して何度もぐるぐる考えてしまう。その頃は、避難準備は整い2階に避難していた。普段仕事をしているモニターから常にNHKの放送を音量大にして流して、いつでも耳に入るようにした。

万が一浸水した際に、少しでもそれを抑えられるように玄関のドアを「水のう」によって封鎖した。普段、多摩川グッズストア出店のときに、テントを固定している注水式の重しが役立った。

ブルーシートを敷き、木材と水のうを重しにして封鎖している様子

「リビングにあるテーブルと椅子はどうする・・・?」と妻が聞く。

テーブルと椅子は最近新調したばかり。10年くらい前の新婚のときから、「欲しいね」と言っていた憧れのデザイナーのものだった。最近、ようやく買うことができた。

少し迷って「言い始めたらきりがないから、置いたままにしておこう。浸水したらそれも記録だと思って使おう。海水じゃないから使えるっしょ。」と答えた。

ああ、まさかこんなことになるとは。

ふと周りの家々を見ると、ほとんどの家が自宅外に避難していた。明かりが無い。

妻「クルマ、どうなるんだろうね」

僕「壊れたら新しいの買おうよ(『そんなお金ないけどね』)」

僕「もし、2階の床よりも上に水が来たらどうしよう」

妻「・・・自宅避難するってもう決めたんだから」

そんな会話をしながら、少しずつ体力が失われていくのを感じた。作り置きしておいたおにぎりをむしゃむしゃ食べる。明らかにいつもより食べているけど、腹が減っては戦はできぬ。なんせ、これから僕たちはこの家に籠城しながら多摩川を迎え討つのかもしれないのだ・・・。

そんな中、娘は普段とは違う部屋で生活できるこの状況が気に入ったらしく存分に遊んでいた。折り紙が入った箱をぶちまけながら色鉛筆でお絵かきをしたり、引き出しの中を開けて小さな探検・調査を始めたり。

20:00

モニターに映し出されるNHKの報道は、各地の河川の氾濫状況を伝える内容に変わっていた。どうやら多摩川各地でも浸水被害が報告されているようだ。調布多摩川の水位は相変わらず上がり続けている。ずっと「氾濫危険水位」だ。赤いメモリに慣れてしまい、若干麻痺している自分に驚く。

22:00

風もやんで少し落ち着いてきたころ、多摩川氾濫の一方が。

なんと、二子玉川だ。いや、正確には世田谷区玉川か。

この場所はとても馴染み深い。近くにオフィスがあるだけでなく、兵庫島公園では昨年からTAMAGWA BREWというイベントを開催していて、私も実行委員会の一員として参加している。

NHKの映像を見ていると兵庫橋との境目に土のうを積み上げる場面が。

まさか、この場所が一番最初に氾濫するなんて。

後日、報道やTwitterなどで、景観重視の堤防建設反対派のことがやり玉に挙げられていた。たしかこの場所は古来からの雑木林が残された場所だ。いろいろな立場の人がいる。以前、私のところにも反対派の方が見えたことがある。・・・結果だけを見て外野がああだこうだと言っている現状は正直胸糞悪かった。いや、この話を持ち出すと脱線してしまうので、それはまたどこかの機会で。

このとき、近くの多摩川が今どの程度なのか分からなかった。すでに溢れているのか。まだ耐えているのか。一応、定点観測していた調布多摩川の水位は下降傾向にあったが、近くの計測所は何故か「失測」ばかりで頼りにならないし、ライブカメラも細かなことは見えない。

NHKの報道は各地の状況を繰り返し伝えているので、近所の最新状況はTwitterに頼るしかなかった。近所らしきツイートを調べていくと、一部の通りで浸水したようだ。うちから少し行ったところのことだ。

浸水している。原因はわからないが、映像を見る限り道路は冠水している。

いよいよ来たか。

いや、来いよ!来るなら来い、多摩川!!

不安になって、2階の窓を開けて地上を見てみる。暗くてよく見えないから懐中電灯で地面を照らしてみる。いつものアスファルトが見えた。まだここには来ていないようだ。

時折吹くなまぬるい風が、なんだか不気味だった。

24:00

降雨・風のピークは過ぎ、水位も頭打ちしたような感じだったので、翌日に備え仮眠をとることにした。万が一のときにはスマホから爆音アラームがなるだろうし、まあ、今の状況であれば大丈夫だろうと。

心配なのは翌日、上流からの増水により状況が一変することだった。台風は過ぎて風も無いし、安心している人も多いように思えた。でもこのまま増水した状態が続けば堤防が決壊するかもしれない。

私は河川水害について知識があるわけではないので、実際のところ堤防がどうなるのかなんて検討もつかない。もしかしたら多摩川の堤防はかつてないほど強力で、台風19号がもたらす今回の増水程度であれば問題ないのかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。

頭のなかで、また堤防とそれを乗り越えようとする多摩川を思い浮かべてぐるぐるしているうちに、流石に疲れてしまったらしく眠りについていた。

翌朝

気づくと朝の5:00。なんとか僕らは籠城したまま無事に朝を迎えたらしい。

つけっぱなしにしていたモニターに目をやると、今度は長野や東北の深刻な被害状況について報道されていた。長野は僕の故郷でもある。心配だ・・・。どうやらこちらよりも酷いことになっている。

合間に挿入されてくる多摩川の映像から、ここ数年で最も酷い被害状況だということが伝わってきた。ただ、今のところこれ以上は悪くはならなそうだ。

雨戸と窓を開けて、自宅周辺の状況を確認する。幸いなことに危険なものが飛来した形跡もなく、損害は0。唯一、お隣のすだれがこっちに飛んできた程度だった。

よかった・・・。

危険はなさそうなので、娘をつれてコンビニへ出かける。本当に商品棚が空になっているのか、気になった。入店してみると予想通り。お酒とか春雨サラダみたいなものしかなかった。ずっとおにぎりを食べていたので、サンドイッチが無性に食べたかった。

が、もちろんサンドイッチなんて無かった。

ふと、昨晩妻が非常用にパンを焼いて備えていたことを思い出す。トマトとレタスとベーコンを買って帰り、自分で作ることにした。

よく切れる包丁でトマトをスライスし、丁寧に水切りしたレタスといささか固すぎるベーコン(贅沢は言えない)と一緒にサンドして娘と食べた。

というような感じで、意図せず村上春樹的な朝食になった。やれやれ。

・・・少しずつ、気持ちに余裕が戻ってきた。よかった。

籠城を終えて

こうして、その後も心配していたような事態には陥らず、人生初の多摩川氾濫に備えた自宅での籠城を終えた。

ここまで読んだ方の中には、おとなしく避難所に避難しておけばよかっただけの話ではないか。用心しすぎではないか。というようなことを言う方もいるかもしれない。それもひとつの答えではあると思う。でも、何が正しいかなんて誰も分からない。少なくとも、家族が大きなストレスを感じず、何よりも無事に過ごせたことは結果的に良かったと僕は思っている。

それでももし本当に床上浸水したら。ハザードマップの予想を超えた浸水になっていたら。2階で水位が上がって逃げ場がなくなったら・・・。

と考えると今でも怖い。そうなっていたらどうしていただろう・・・。

また、いろいろな情報が流れて、一体何を信じればいいのか分からないこともあった。家中の窓やドアを封じて周りの様子が分からない夜。信じられるのは自分と家族だけだったと思う。

地震と違って浸水災害は事前に十分に対策すれば防ぐことができる。最後に伝えたいのは、多摩川を畏れよ。ということ。普段から慣れ親しんいる多摩川は穏やかで、私達の心を満たしてくれるかけがえのないものだが、荒れ狂いすべてを流しつくしてしまう一面もある。忘れてはいけないのは、これも多摩川であるということだ。

1974年の多摩川決壊が完全に風化した今日、次の時代を生きていく私達はもっと多摩川を畏れなければいけないと痛感した。

多摩川を舐めんな!